人生の最初の岐路

日本男子たるものの人生における最初の選択。

それはコロコロを読むのか、ボンボンを読むのか、ということである、なんてことを昔の偉い人は言いました(テキトー)。

もちろん、細かく言えば、Vジャンプ派だったり小学◯◯生派だったり有象無象の弱小野党も存在するでしょうが、それは言うなれば、世間がドリキャスかプレステかで騒いでいる時にバーチャルボーイ買ってる奴みたいな、ま、所謂”その他”ってところでしょう。しかもなかったことになりますねそれ。

ここでちょっと僕のインテリっぷりを示すために、政治にたとえてみましょう。
勢力図的には、コロコロ派が与党、ボンボン派が対抗野党。つまりそういうことです。…あれ、浅い例えで終わっちゃったぞおい。いやいや、もうここが限界。

まあ発行部数のデータとか知りませんが、多分当時、7対3か8対2くらいの割合だったような気がします。
多数派は断然コロコロでした。
今は知りませんが、当時コロコロの説明に要するのは、たった2語。「ちんこ」と「うんこ」です。これだけでもう、ちびっ子達のピュアハートをがっちり掴んで離さない。あとはエッセンスにミニ四駆とかポケモンとかコミカライズしておけばOK、みたいな、実にわかりやすいコンセプト。あと変顔とか。
クラスの人気者達はみんなコロコロ派。コロコロのギャグをパクっちゃ、クラスの笑いを一気独占。コロコロ派はきっと将来リア充になるタイプですね。

一方僕は、少数派のボンボン。
ボンボン派に対する謂れの無いレッテルとして「エロ好き」というものがあります。確かに「がんばれゴエモン」はエロかった。あとガンダム。あとハンゾーとかも。他にも…あ、ごめんエロばっかりだわ。正直、僕の性的嗜好はこの時形作られたといっても過言ではないような気がします。

ボンボンの特徴として、どう考えても小学生低学年以下に向けた内容ばかりなのに、時々とんでもなく難解な…下手すると今の年齢でも読むのに耐えられるような漫画が混じっているのです。まあ今の年齢で漫画読んでるのがそもそもどうなんだ、という話ですが、それはされおき。当時は、わかったようなフリしてわかんないまま読んでいて、それでちょっと大人になった気になり、コロコロ派の下らないギャグを見下しながら、はん、あいつらガキだな、と蓮っ葉に構え、「俺はちょっと違うんだぜ」ポジションで格好つける余り、コロコロ派と決定的に決別していくわけです。しかし世の主流はコロコロ派。当然、野党であるボンボン派は肩身せまい思いをするしかないわけで…しかし、ボンボン派にも希望はあるのです。そこに漂うアウトロー感に女子もイチコロに違いないという微かな希望が…っ!しかも女子共は、そんないぶし銀のボンボン派を認めず、コロコロ派の下らないギャグに、男子ってバカねキャッキャウフフとなんだかんで、明るく楽しいコロコロ派になびいて行く訳で…ああ、そうか、この頃から差がついてたわけか。ああ、なるほどね…うん。な…泣いてなんかないぞ…っ。


ところでなんで急にボンボンの話をしたかというと。

先日、友人と一番好きな漫画ってなに?という話題になり、友人達は、ジョジョとかスラムダンクとかワンピースとか言いやがってからに、なんだ、それ言えば女子にモテるとでも思ってるのかっ!安易に多数派に迎合しやがってからにぃぃぃ!低きに流れるその根性、俺が叩きなおしてやる歯ぁ噛み締めろ!君が、泣くまで、殴るのをやめないっ!みたいな会話をしておりました。こういう世の中で流行ってるものを斜に構えて見る感じは、幼い頃のボンボン読者テイストの残り香を感じずにはいられませんね。
ああ、あと、伊藤潤二作品が好きだとのたまったスズキ君。君と仲良くなるのは、少し怖い。

そういうお前は何なんだよ。と聞かれて、はてさて、なんだろう、と。
まあ先に挙げた三作品も好きですし、いろいろ好きな漫画はありますが、一番好きと言える程、のめり込んだ漫画ってなんだろうと思うと、ボンボンに連載していた「王ドロボウジン」でした。あとその続編になる「キングオブバンデットジン」。

先ほど述べていた、子供向け漫画の中にあって、今でも読むに耐える作品でした。なんで「へろへろ君」と同じ雑誌の中に「メメント・モリ」なんて言葉が出てくるのかと。当時、ストーリーとかよく分からないまま読んでいましたが、ティム・バートン的な独特な世界観や綺麗な絵に、ただただ魅せられていたのを覚えています。

僕が絵において一番影響受けているのは間違いなく王ドロボウジンです。まあ全然レベル違いますがね。もうほとんど芸術レベルの作画でした。

ちなみに作者の熊倉裕一先生はご病気とかで、今はどこにも連載されてないのが悔やまれてなりません。一瞬だけマガジンZで連載された「Q&A」という漫画も良い雰囲気だったんですけどねぇ…。

そんな訳で今日は、一定の年齢層にしか全く分からないネタ満載でお送りしました。
関連記事

桃太郎こぼれ話②〜桃太郎の魅力〜

そういうわけで本編も、ようやく団子屋前でのスッタモンダから前へ進みます。
どんだけ団子屋前で騒いでるのかと。現行総ページ数の約5分の1が団子屋前です。いいんだいいんだ。これから薄めていけばいいじゃない。一番最初に変な魔法陣開発したククリが考えたことと一緒ですよ。一番最初がアレな感じでもその後の全部が素敵なら、気にならないじゃない。

さてさて。
前回、『桃太郎』に対して野暮なツッコミ入れんじゃないよ。ってな話をしたわけですが、一方では、浦島太郎や一寸法師、瓜子姫など有名な童話は数あれど、『桃太郎』だけ、やけにツッコまれやすいという見方も出来ます。

前回も触れましたが、童話や神話は、語り伝えられる内にどんどん変化していきます。だから整合性のない展開はいくらでもある訳で、どうなんだこれは、という展開は枚挙に暇がない。
サルカニ合戦のリンチ感はちょっと引くレベルですし、浦島太郎への最後の仕打ちも如何なもんかと思います。一寸法師の打ち出の小槌のご都合主義感は打ち切り漫画を思わせますし、かぐや姫の悪女っぷりは倉科遼先生に漫画化してほしいくらいです。

そんな感じにツッコミ入れようと思えば、いくらでも隙があるのですが、そこら辺について何か批判するような言論はあんまり見かけません。そりゃぁ、そうです。いちいち突っかかってたらキリがない。
でもじゃあ、いちいち突っかかられる桃太郎はなんなんでしょう、いじめられっ子気質なのかお前は。

まあ、当たらずとも遠からず、といったところでしょうか。
『桃太郎』は、他の物語以上に、人々の深層心理に何か投げかけるものがあるのだと思います。だから、文筆家や文豪といった、自分の内面に深く踏み入っていくような職業の人に限って、『桃太郎』の「何か」に引っ掛かりを覚える。だから、あれですよ?センスの良い人だから桃太郎を取り扱うわけでね、面白くないとか、野暮だとか、さんざんこき下ろしましたけど、なんだろうな、輝くセンスに対する嫉妬かな。ツンデレみたいな。


では、『桃太郎』に潜む「何か」とは何でしょうか。
おかげさまで沢山の先人達がその辺を研究しておりますので、聞きかじったところからかいつまんでご報告します。


まず第1には、日本人、もしかしたら人類全てに共通して響く、原型的要素です。
長くなるので、詳細はまた別の機会にまとめたいと思っておりますが、古くから伝わる神話から現在のハリウッド映画に至るまで、おおよそストーリーと呼ばれる全てには何種類かのマザープロットが存在していると言われます。
そのうちの一つに、貴種流離譚と呼ばれる類型に『桃太郎』は属します。

本来ならば神や王家といった高位な存在である子供が、何かしらのアクシデントにより下位の存在として育ち、冒険や試練を乗り越える事で、本来の高位へと目覚める、といった筋立てが基本形。桃太郎の他には、ヘラクレスや源義経、劉備玄徳、最近のものではウルトラマンレオやルーク・スカイウォーカーなどなど。最近のジャンプ漫画の主人公はみんなこんな感じですね。ごく平凡で一般的な高校生である俺が、宇宙とか異世界とかから美少女複数人から求婚されたと思ったら、まあなんやかんやあって、隠されていた能力(と書いてチカラと読む)に目覚めて悪の組織だか侵略者(これまた美少女)を向こうに回しての切った張ったと大立ち回り。ああ、普通なる俺の平々凡々な青春はどこへっ…みたいなコピペラノベも、まあ貴種流離譚の一種ですね。(ちなみに上記のようなラノベ系のストーリーに時々見られる薄さや幼稚さは、プロットのラストで貴種流離譚から乖離するためです。詳細はそのうち)

世界中のあらゆる時代にマザープロットの当て嵌まる物語が存在しています。なぜかといえば、例えば貴種流離譚は、おおよそ人類という種が辿る成長過程に沿っているからと考えられます。自我薄弱な子供時代から、成人の儀式という試練を経て、本来的な自我、あるべき自分や使命を見出す…貴種流離譚にかぎらず、他のマザープロットも人の成長や社会性獲得の経緯に沿った形をしているそうです。
こういった要素をしっかりと踏まえている作品は、やはり世代を超え、国を超え、多くの人に受け入れて貰いやすい。村上春樹や宮崎ジブリが世界中でヒットする要因の一つともいわれています。

しかしまあこれは、桃太郎にかぎらず、全ての童話や物語に共通する因子です。


第2の要素にして桃太郎が特に強く持っている要素は、その構成の分かりやすさ。
『桃太郎』は起承転結がシンプルかつ見事に整っています。童話や神話は、その辺りが入り組んでしまうがために、現代人にはわかりづらい事が多いのですが、『桃太郎』については、もうなんていうかジャンプ漫画くらいわかりやすい。
主人公の謎の生い立ち、特色ある仲間との出会い、恐ろしい強敵との戦い、そして勝利と栄光。ジャンプ漫画に必要な全てがここに揃ってるわけです。
突っ込まれやすさの最大の要因はこのわかりやすい筋立てにあるのでしょう。

他の童話や神話は、筋がわかりにくく、その分不可思議さや神性を内包しています。それはいうなれば、偉い賞を受賞した学者先生であり、学会ではその先生を怒らせたらまずやっていけないというような権力者、世間では現代のアインシュタインとも呼ばれる賢人が、「アレだろ、今、ATM48ってのが流行ってんだろ」と言った時のような、えぇと…まあ、はい…。みたいな「いじっちゃいけない感」があるわけです。

それに比べて『桃太郎』ときたら、ITベンチャー企業の社長くらい気さく。小規模ながらも、名実ともに一流企業に育て上げた手腕は素晴らしいのですが、ノーネクタイを貫き通し、派手なパフォーマンスで新聞をにぎわす毎日。保守的な勢力からは敵視され、批判も多いが、同僚や仲間からは慕われていて、フェイスブックでは怒涛の1万ユーザーをフレンド登録。といった感じです。株価操作とかやっちゃったばっかりに、それみたことかとやり玉にあげられるってなわけで…あれ、なんの話だ。

そんでもって、あと第3の要素があるのですが、まだまだ長くなりそうなので、これまた後日。
おかしい。当初予定てはこんなに長くするつもりなかったのに…。だいたいにおいて横道に逸れ過ぎているのがいけないのかな。やめないけど。
関連記事

「雪中花」

新しいドローソフトの練習がてら表紙更新致しました。

表紙④

桃太郎の肩に微妙に掛かった雪、あるいは少し傾けた傘。そこにある、そこはかとない優しさというか愛情というかね。まああれだ。とりあえず爆発すればいいのに。

そういえば少し前に東京でも大雪が降って大騒ぎでした。
かく言う私も巻き込まれた口でしてね。自動車での雪中行軍、普段なら1時間30分の道のりを6時間掛けて移動するハメとなりました。本が2,3冊読めちゃうよ!なんなのもう。この怒り、あのイライラ、誰にぶつければいいのか。なにか、国土交通省か?いや、政府かっ国かっ!?大人達がいけないんだな!!?歯をくいしばれっ!そんな大人、修正してやるっ!
そのままだと彗星見間違えたりし始めかねないので、とりあえず怒りは会社にぶつけておきました。残業代請求という形で。

私は雪国生まれの雪国育ちなもんですから、むしろ懐かしいくらいの感じでした。雪、いいねぇ。
雪の中歩くというのは、なかなかいいもんですよ。雪が音を吸収してくれるから、とっても静かなんです。
絵のような感じで二人で歩いたりすると、本当に世界に二人きりみたいな気分になります。耳に聞こえるのは、この会話、雪を踏む音、そして互いの息遣い…。

僕は男としかそんな状況になったことないんで、基本的に気色悪い図しか思い出にないんですが、まあアレなんじゃないっすか、カップルとかだといいんじゃないすか、そういうの。知らないけど(耳ほじりながら)


アホな話はさておき、相変わらず更新遅いですが、お付き合い頂ければ幸いです。
基本的に勝手に描いていますが、ご感想など頂ければありがたいです〜。
関連記事

桃太郎こぼれ話

今回は、まあ特に面白い話じゃありませんが、せっかく桃太郎を題材に描いているので、その考察だったり解説をお送りします。


桃太郎がどんな話か、全く知らない、という人はなかなか居ないだろうと思う。
いやいや、それでも、この深くて広いネット社会である。てめぇの常識押し付けんじゃねぇよ、なんだよ、桃太郎って。あれか、隠語か何かか。男とおとこがアレを何する時にどうのこうのする感じのなんかか!みたいな人も居ないとも限らないわけですが、そういう人は、どうか、なにとぞお帰りくださいっ(恐怖)

まあつまらない冗談はさておき、あらすじだけ言えば下記のような感じ。

 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
 おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。
 おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。
 おばあさんは大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。
 そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと桃を切ってみると、なんと中から元気の良い男の赤ちゃんが飛び出してきました。
「これはきっと、神さまがくださったにちがいない」
 子どものいなかったおじいさんとおばあさんは、大喜びです。
 桃から生まれた男の子を、おじいさんとおばあさんは桃太郎と名付けました。
 桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子になりました。
 ある日、桃太郎が言いました。
「鬼ヶ島へ行って、わるい鬼を退治します」
 おばあさんにきび団子を作ってもらうと、鬼ヶ島へ出かけました。
 旅の途中で、イヌに出会いました。
「お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。鬼ヶ島へおともしましょう」
 そうしてサル、キジもおともにしていきました。
 こうして、イヌ、サル、キジをおともにして桃太郎は、ついに鬼ヶ島へやってきました。
 鬼ヶ島では、鬼たちが近くの村からぬすんだ宝物やごちそうをならべて、酒盛りの真っ最中です。
 イヌは鬼のおしりにかみつき、サルは鬼のせなかをひっかき、キジはくちばしで鬼の目をつつきました。
 そして桃太郎も、刀をふり回して大あばれです。
 とうとう鬼の親分が、
「まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ」
と、手をついてあやまりました。
 桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物をくるまにつんで、元気よく家に帰りました。
 おじいさんとおばあさんは、桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。
 そして三人はしあわせにくらしましたとさ。


起承転結の見本みたいな物語構成である。素晴らしい。
欲を言えば萌えキャラの一人でも出しておけば、もう少し人気が出たかと思うが、まあなにせ室町時代くらいの成立らしいから、しょうがない。怒涛のケモノ推し。当時の人々の萌え要素は、ケモナーか何かだったのだろう。

他の多くの童話がそうであるように、桃太郎も様々なバリエーションが存在していて、桃太郎が三年寝太郎タイプのモノグサだったりとか、仲間がウスとかイガグリになるサル蟹合戦が入り混じったものとか、桃じゃなくて樽やらタンスから生まれるバージョンとか。その場合はタンス太郎になるのだろうか。なんか、衣類用防虫剤っぽくていやだ。

もっと言うと、今知られている桃太郎は昭和時代に大幅改変されたもの。
軍国主義まっしぐらの時代にあって、そのキャラクター性はプロパガンダにちょうど良かったようである。
当初、同格の仲間だった犬猿雉は、オトモへと格下げになり、桃太郎のリーダーシップ性が強調された。鬼退治への躊躇の無さは際立ち、米兵鬼畜を打倒する日本男児の在り方を象徴したのである。

そもそも、なぜ童話や聶記にバリエーションが多いかといえば、時代背景や社会情勢を反映して多くの人に受け入れやすい形に変化していくためである。だから上記の軍国的改変も、まあ悲惨な結果につながる事ではあったけれど、物語としてはよくある出来事だ。元々は名前を持つ具体的な人間の行いが、伝えられ、語られ、受け継がれていく内に、換骨奪胎されていき、神話的な、まあちょっとするとわけのわからん物語に姿を変える。
要素だけが際立ち、詳細は削ぎ落とされる。そうやって物語は純化していく。北欧神話の神々が、こいつらちんこで物考えてるんじゃないかと思うくらい節操無いのは、多分、そういう理由である。単純にヨーロッパの歴史が、そういう感じだという事でもあるかもしれない。

だから、この物語自体にツッコミを入れるのは野暮というものだ。
桃太郎について調べると、とにかく桃太郎の野蛮性への批判が多い。物語上、何もしてない鬼から宝物を強奪するとは何事か、とか、キビ団子一つで死地へと仲間を連れ立つなんてちょっとおかしいんじゃないか、とか、鬼の本拠地を強襲かけるに1人と3匹じゃあまりにも戦力不足では、だとかだとか。
そういうツッコミの急先鋒が、かの福沢諭吉様だったりするから恐れ多い。

しかしそれは、聖書に対して、なんで都合よく海割れるんだよ、とか、三日後に復活とかWWWご都合主義かWWみたいなツッコミをするのと同じことだ。
鬼も、キビ団子も、猿犬雉も、宝物も、そして桃太郎自体、一種のアーキタイプ、モチーフである。それぞれの要素の向こう側に、様々な寓話や宗教的な意義が隠れている。

だから、上に挙げたようなツッコミはとにかく的を得ていないと思う。というか、面白くない。
どや顔で「桃から人が生まれるなんてありえなくね?こいつこそ化け物じゃねぇ?」とか言われても、
いやまあ、そう…っすかね。ははは。微妙な顔でそう返答するしかないだろうというもの。

そしてそういうツッコミに血色変えて反論している僕もたいがいである。

ちなみにここまで書いておきながらなんですが、漫画の桃太郎は別に寓話とか宗教的意義とか考えてませんよ。
関連記事

ショートグッド・バイ

なぜ、これまで放置状態だったブログに連続投稿してるのかと問われれば、
漫画制作が遅い分、駄文の連投で少なからず補おうという魂胆なわけです。
何事も物量に優るものなし。圧倒的物量による波状攻撃をもってすれば例え相手が孔明だろうがカエサルだろうが、お構いなし。チンケな戦略も小手先の錬兵も、一切を灰塵に帰す。
そこ、弾幕薄いよ!なにやってんの!!

ああそれと、仕事の関係で、超ヒマ、という理由もあります。
漫画も描いてるんですけど、PCとソフトを新調したせいで、描きづらいったらありゃしない。
慣れるまでは大変そうです。


それはさておき。
仕事の勤務地が移る関係で、いろいろとお別れを言う機会が多い今日このごろ。

寂しがってくれる人、応援してくれる人、中にはどうでも良いって感じの人、まあ悲喜こもごもです。

いやアレですよ。こっちとしちゃね、大して思い入れもないわけですよ。もうねぇ送別会とかそういうのいいですって。気とお金を使うだけなんだからさ。だってね。20そこそこの良いオトナですよ僕。いちいち寂しがったりとかしませんて。いや、建前では言いますよそりゃ。「寂しくなりますね〜」とかさ。そりゃもう如何にも申し訳なさそうに言いますよ。けどね。所詮、仕事上の付き合いの人ばっかですよ。まあ中には酒飲んだり、一緒にチョメチョメな店行った事ある人もいますがね。それだってほら、取引先とか利害関係とか、いろいろあるわけじゃないですか。別に一生会えないってんじゃないし、もっといえば、場所は違えど同じ業界内ですもの、顔合わす確率のが高い。もう圧倒的に会う。会うに決まってる。その頻度が下がるだけの話でしょ。いちいち気をやってたらキリないじゃないですか。ね。だからさ、ほら、軽くご挨拶だけしてさ。礼だけは逸しないようにねぇ。

なんて思ってましたが、もう涙腺緩みっぱなし。相手の顔なんかまともに見れやしない。なにこれ。

おかしい。こんなはずでは。もっと颯爽と立ち去る予定だったのに。
ちなみに僕の予定では、同僚が席を外している隙に机に置き手紙「コーヒーをつぎ、タバコに火をつけてくれたら、あとはぼくについてすべてを忘れてくれ」なんて残して、ひっそりと職場を後にする。冬の空には煌々と月が輝き、辺りを明るく照らす。見あげれば職場の部屋。電気はまだ付いている。物思いに耽りながらそれを眺めていると、まるでもうここはお前の居場所じゃないと急かすように木枯らしが吹き荒ぶ。僕はコートの襟を立て、繁華街へと足を向ける。そして、行きつけのバー(そんなのないけど)へ。暗い店内仄暗いオレンジライトの下、ちょっとした感傷に浸りながら10年物のイーグルレアのグラスを傾ける。オーディオから静かに流れるゆったりとしたピアノ曲。何かを察したバーのマスター(※初老。離婚して長く奥さんとは和解。もうすぐ成人する息子と酒を飲むのを楽しみにしている。彼を心配する30代の女性(バツイチ)と好い仲だが、付かず離れずの関係を保っている)が、「…お疲れ様でした。」とギムレットを作ってくれる。そして僕、訳知り顔で「ギムレットにはまだ早すぎる」と粋なひとこと。そんなやり取りを見た、カウンターの反対側に座る謎の美女(ブロンド)が声を掛けてきて…。

そんな予定というか妄想というか、とにかく出だしで挫かれたので、妥協案として、目を腫れさせながら、家で「笑ってこらえて」を見つつ発泡酒飲む感じで手を打ったわけですが、これ正解だろっ!?

花には嵐の例えもあるが、さよならだけが人生さ。
なんだかんだとありましたが、お世話になりました、感謝しかないです。
関連記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR