ホムペ今昔モノ語り

1500ヒットくらいとなりました。毎度見てくれている方、ありがとうございます。

ちょうど開設10ヶ月くらい。10ヶ月で1500ヒットが多いか少ないかでいえば多分少ないんでしょうが、一ヶ月に一回しかまともな更新しないようなサイトということでいえば、多い気もします。え、アクセス数気にしてるのかって?気にしまくってますよ、超気にしてますさ。もう、もっとグルングルンカウンタ回りゃいいのにって思ってますよ。気になって気になって、自分のサイトなのに一日に何度も確認してましたよ。
そういえば、そうやってカウンタ数確認のためにアクセスすると、それでカウンタが反応してるんですよねぇ。気づくのに10ヶ月かかりました。確認のためにアクセスする度にカウンタが1個づつ増えてるので、やぁ、来てくれてる人が居るんだなぁと、感激してましたね。アホかと。


今はこうして漫画や絵を中心にしたサイトを運営していますが、10年くらい前にはテキスト中心のサイトを運営していたことがありました。
当時といえば、テキストサイト全盛期。「侍魂」が「先行者」で爆発的ヒットした頃のことでした。やたらと改行とフォントサイズ変更を駆使したテキストサイトが雨後のたけのこの如く開設される時節柄。「侍魂」ヒットを受けて、ネットアスキーのようなサブカル系ネット雑誌で、いくつかのテキストサイトが取り上げられたりなんかしてましたね。なんていうか、そこにはアメリカンドリームにも似た期待感みたいなものもあったように思います。これで有名になるんだっ!的なね。

今考えてみれば、何にあんなに熱狂していたのか謎ですが、弱小サイト群はアクセス数稼ぎにしのぎを削っておりました。どうすれば、アクセス数を稼げるか。どうすればヒットするのか。もちろん面白いネタでも用意出来れば、それに越した事はないですが、当然、そんなネタがそこらに落ちてるわけでもなし。大手からリンクを貰うとか、弱小同士でもとにかくリンク数を増やすとか、当時そんな言葉はありませんでしたが、いわゆる炎上マーケティング的手法をとるとか、まあなんだか色々ありました。
結局のところ、ヒット数稼いでいたのは、コンスタントに淡々と、いわゆる日記を面白おかしく更新続けているようなサイトばかりだったと思います。一体なぜ、この平凡で一般的な自分の日常を、ああも脚色し言葉を尽くして、面白おかしく語ったんでしょうか、あのエネルギーは一体何だった。
考えてみれば、当時大御所と呼ばれるようなサイトの管理者は、OLとか大学生が中心でした。ちょうど今の僕と同じくらいの年頃ですねきっと。今頃どーしてんのかな、と思って昔のブックマークを探ってみましたが、ほとんど閉鎖。彼ら彼女らも、当時を思い返して、苦笑してんのかな。

今となってはジャリンジャリンと財力に物を言わせて、ホムペ制作ソフト(1980円)と借り物ブログ(0円)にて超適当にホームページ作っていますが、当時は中学生。当然のごとくお金はない。織田裕二並にお金がない。HTMLをワープロソフトで手打ち、ヤフージオシティーズを間借りして、完全に0円で作ってました。あれ、1980円しか変わってないぞ。

そうやって手作りしているからこそ、入れ込み様は今の比じゃありません。当時から大して面白くもない駄文を書き散らしてたと覚えていますが、それでも、推敲を繰り返して、ちゃんと文章にしていました。今みたいにテキトーに書き散らしたら、特に推敲もせず書き散らしたままにしてませんでしたよ、一応。

そして、あのネットバブリーな時代、僕も僕とてこのテキストサイトで有名になって時代の寵児にでもなってやろうと、アクセス数稼ぎのため試行錯誤。
一体何をしたのかというのは最早あんまり覚えてないのですが、今よりもアクセス数を稼いでいたような覚えがあります。多分、自分よりちょっとだけ大きいサイトと小賢しく相互リンクしてもらったり、掲示板や企画で宣伝したり、なんかまあ小細工いっぱいしてたんだと思います。中学生の考えた「ぼくのかんがえたおもしろいやつ」で、多くの人の貴重な時間を無駄にさせていたのかと思うと、布団かぶって吠えたい気分になります。

そして恐ろしい事に、そのホームページをラジオが取り上げた事もありました。いっちょまえに電話でインタビューとか答えてましたね。なんだったんでしょうあれ。
ラジオ取材を契機に急激にアクセス数が伸びて、ちょっともう手に負えない感じになり、恐ろしくなって辞めたのを覚えています。今だったら、平気で調子乗り続けますけどね。ラジオメディアの力だろうがなんだろうが、増えたんならいいやないか…アクセス数は俺のもんじゃろが!うはははっ!!

成長したなぁ。
関連記事
スポンサーサイト



検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR