桃太郎こぼれ話

今回は、まあ特に面白い話じゃありませんが、せっかく桃太郎を題材に描いているので、その考察だったり解説をお送りします。


桃太郎がどんな話か、全く知らない、という人はなかなか居ないだろうと思う。
いやいや、それでも、この深くて広いネット社会である。てめぇの常識押し付けんじゃねぇよ、なんだよ、桃太郎って。あれか、隠語か何かか。男とおとこがアレを何する時にどうのこうのする感じのなんかか!みたいな人も居ないとも限らないわけですが、そういう人は、どうか、なにとぞお帰りくださいっ(恐怖)

まあつまらない冗談はさておき、あらすじだけ言えば下記のような感じ。

 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
 おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。
 おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。
 おばあさんは大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。
 そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと桃を切ってみると、なんと中から元気の良い男の赤ちゃんが飛び出してきました。
「これはきっと、神さまがくださったにちがいない」
 子どものいなかったおじいさんとおばあさんは、大喜びです。
 桃から生まれた男の子を、おじいさんとおばあさんは桃太郎と名付けました。
 桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子になりました。
 ある日、桃太郎が言いました。
「鬼ヶ島へ行って、わるい鬼を退治します」
 おばあさんにきび団子を作ってもらうと、鬼ヶ島へ出かけました。
 旅の途中で、イヌに出会いました。
「お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。鬼ヶ島へおともしましょう」
 そうしてサル、キジもおともにしていきました。
 こうして、イヌ、サル、キジをおともにして桃太郎は、ついに鬼ヶ島へやってきました。
 鬼ヶ島では、鬼たちが近くの村からぬすんだ宝物やごちそうをならべて、酒盛りの真っ最中です。
 イヌは鬼のおしりにかみつき、サルは鬼のせなかをひっかき、キジはくちばしで鬼の目をつつきました。
 そして桃太郎も、刀をふり回して大あばれです。
 とうとう鬼の親分が、
「まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ」
と、手をついてあやまりました。
 桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物をくるまにつんで、元気よく家に帰りました。
 おじいさんとおばあさんは、桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。
 そして三人はしあわせにくらしましたとさ。


起承転結の見本みたいな物語構成である。素晴らしい。
欲を言えば萌えキャラの一人でも出しておけば、もう少し人気が出たかと思うが、まあなにせ室町時代くらいの成立らしいから、しょうがない。怒涛のケモノ推し。当時の人々の萌え要素は、ケモナーか何かだったのだろう。

他の多くの童話がそうであるように、桃太郎も様々なバリエーションが存在していて、桃太郎が三年寝太郎タイプのモノグサだったりとか、仲間がウスとかイガグリになるサル蟹合戦が入り混じったものとか、桃じゃなくて樽やらタンスから生まれるバージョンとか。その場合はタンス太郎になるのだろうか。なんか、衣類用防虫剤っぽくていやだ。

もっと言うと、今知られている桃太郎は昭和時代に大幅改変されたもの。
軍国主義まっしぐらの時代にあって、そのキャラクター性はプロパガンダにちょうど良かったようである。
当初、同格の仲間だった犬猿雉は、オトモへと格下げになり、桃太郎のリーダーシップ性が強調された。鬼退治への躊躇の無さは際立ち、米兵鬼畜を打倒する日本男児の在り方を象徴したのである。

そもそも、なぜ童話や聶記にバリエーションが多いかといえば、時代背景や社会情勢を反映して多くの人に受け入れやすい形に変化していくためである。だから上記の軍国的改変も、まあ悲惨な結果につながる事ではあったけれど、物語としてはよくある出来事だ。元々は名前を持つ具体的な人間の行いが、伝えられ、語られ、受け継がれていく内に、換骨奪胎されていき、神話的な、まあちょっとするとわけのわからん物語に姿を変える。
要素だけが際立ち、詳細は削ぎ落とされる。そうやって物語は純化していく。北欧神話の神々が、こいつらちんこで物考えてるんじゃないかと思うくらい節操無いのは、多分、そういう理由である。単純にヨーロッパの歴史が、そういう感じだという事でもあるかもしれない。

だから、この物語自体にツッコミを入れるのは野暮というものだ。
桃太郎について調べると、とにかく桃太郎の野蛮性への批判が多い。物語上、何もしてない鬼から宝物を強奪するとは何事か、とか、キビ団子一つで死地へと仲間を連れ立つなんてちょっとおかしいんじゃないか、とか、鬼の本拠地を強襲かけるに1人と3匹じゃあまりにも戦力不足では、だとかだとか。
そういうツッコミの急先鋒が、かの福沢諭吉様だったりするから恐れ多い。

しかしそれは、聖書に対して、なんで都合よく海割れるんだよ、とか、三日後に復活とかWWWご都合主義かWWみたいなツッコミをするのと同じことだ。
鬼も、キビ団子も、猿犬雉も、宝物も、そして桃太郎自体、一種のアーキタイプ、モチーフである。それぞれの要素の向こう側に、様々な寓話や宗教的な意義が隠れている。

だから、上に挙げたようなツッコミはとにかく的を得ていないと思う。というか、面白くない。
どや顔で「桃から人が生まれるなんてありえなくね?こいつこそ化け物じゃねぇ?」とか言われても、
いやまあ、そう…っすかね。ははは。微妙な顔でそう返答するしかないだろうというもの。

そしてそういうツッコミに血色変えて反論している僕もたいがいである。

ちなみにここまで書いておきながらなんですが、漫画の桃太郎は別に寓話とか宗教的意義とか考えてませんよ。
関連記事
スポンサーサイト



検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR